“技術を通して「つながり」を創る” を掲げ、プロダクト開発の支援・開発請負と、次世代ARアプリ「ポ写」の開発・運営をおこなうタビアン株式会社のCEO 難波 和之さんにお話を伺いました。
学生時代・大手SIerにおける苦い経験から得た「ユーザーに使ってもらわないと意味がない」という考えに加え、難波さんが思うこれからあるべきエンジニア像もお伺いしました。スペシャリストでなく、ゼネラリスト志向であるべきというお話など興味深い話ばかりです。

10歳からプログラミング:とにかく本を読んで写経

ーエンジニアになったきっかけを教えてください

そもそも、PCとの出会いは私が10歳の時にさかのぼります。父が趣味でPCを使っており、PCで日本語入力をするために、ICチップをはんだ付けしていたんです。今は日本語入力といったら、キーボードを叩けば簡単に切り替えられるのですが、当時はそうはいきませんでした。父がPCをいじる姿を見て、面白そうだなぁと感じていました。時々、父がPCで麻雀をやる姿も見ました(笑)。
父が使用していないタイミングを見計らい、自分もPCで何かしようと試みました。しかし、現代のPCとは異なり、電源を入れてもOSは立ち上がらず、プログラムを入力する画面が出てきます。父にどう動かすのか尋ねるとBASICだと教えられました。BASICがわからないとPCは使えないので、私は図書館へ行きBASICが書いてある本を借りて読み込み、ひたすら写経していました。テキストベースで動くアプリケーションや数字計算させるプログラムをつくったりしていました。とにかく楽しくてのめり込んでいました。

ー10歳にして図書館で本を借りて写経、驚きました。PCを使うために徹底的に探求されたんですね。探究心は昔からあったのでしょうか?

どうでしょうか。私の場合は生まれつきかもしれません。会社が渋谷のコワーキングスペースに入居した時、どんな部屋があるのか気になったので建物の地下から屋上まで全てチェックしました。他の社員は「自分たちが使う階しか見ていない」と話していたので、好奇心が旺盛なのかもしれませんね(笑)。

10歳の頃にはインターネットがなかったことが、徹底的に調べた要因かもしれません。調べ物をするとしたら、図書館で本を借りるしかないですからね。厚い本を借りて読み込んだり、ソフトウェアが入っているCD-ROMを借りてインストールしたりしていました。

ー中学校に入ってからも、引続きプログラミングを楽しんでいましたか?

はい。Windows 95が登場するまでは、ロゴライターというお絵かきツールにはまり、図形を描いていました。その後、Windows 95が普及してからは、テキストエディタなどのWindowsアプリケーションを作っていました。自分が作ったものの中でよく覚えているのが、ファイルの保存時間を書き換えられるツールです。これは自信作で、コピーして友達に配っていました(笑)。

ーどうして、保存時間を書き換えられるものをつくったのでしょうか?

当時、親が寝てから起き出して、隠れてPCを深夜まで使っていたんですよ。だから、ファイルの保存時間が残ってしまうと都合が良くないんです(苦笑)。そこで、保存時間を書き換えられるツールがあればいいんじゃないかと思って作成しました。

ーまさに、自分の課題を技術で解決したんですね。高校生になってもプログラム熱は変わらずでしょうか?

高校生時代もとにかくプログラムを書いていましたね。授業中も、プログラムを書きたすぎて、紙にプログラムを書いて家に持ち帰って実行していました(笑)。
大学受験の浪人生時代は、1年間プログラミングをお休みしました。ずっとプログラミングをやっていたので正直きつかったですが、受験が終わってからはプログラミング解禁。水を得た魚のようにプログラムを書いていました。

一生懸命作ろうとも、誰も使わないものを作っては意味がない

ー受験が終わりプログラミングを解禁したとのことですが、大学時代はどのような開発をしていましたか?

オンライン英語学習サービスを開発するアルバイトをしていました。結論から言うと、リリースしたのですが、利用者がまったく伸びませんでした…。当時の市場は、英語学習サービスが出始めた頃だったので、オンラインでやれば利便性があがるのではと思いスタートしました。ただ、オンライン学習というのは早すぎたのかもしれません。その時にtoCビジネスの難しさを痛感しましたね。

ーその経験が、会社選びに影響を及ぼしましたか?

そうですね。toCビジネスの世界は厳しいなと考え、toBビジネスの世界も知っておきたいと思いフューチャーアーキテクトに入社します。多くの会社の中でも同社を選んだ理由として、代表の金丸さんから「うちへ来い!」と強く言っていただけたことも大きかったです。
フューチャーアーキテクトで働いているときに開発したものの中で覚えているのが、社内コミュニケーション用に開発したリアルタイムチャットです。それを、外販しようと自ら営業もしたのですが、どの企業にも買ってもらえず、社内にも定着せず、サービスとしては失敗してしまいました。苦い思い出です。当時、個人で利用するSNSではTwitterやFacebookが流行っていましたが、業務ではメールが定着していた時代です。もちろん、Slackも登場していませんでした。「メールがあるのに、なぜ“チャット”というわけのわからないものを使うんだ」と言われましたね。これも、時代が早すぎたなと感じています。

この経験が、エンジニアは“人に使ってもらえるサービス”を作らなければいけないんだ、と考える転機になりました。自分が作ったサービスが使われずに消えていくというのは、すごく辛い体験でしたし、プロダクトは作って終わりでなく、使い続けてもらうことまで見据える必要があると気付かされましたね。

プロダクトが評価されるために必要なのは、まず良い製品であること。そして、広く知ってもらうこと。その2つがそろって初めて人から評価されることを痛感しました。この考え方は、プロダクトを開発するときの私の出発点となっています。

ー使ってもらわないと意味がないとのことですが、技術について難波さんのお考えを聞きたいと思います。「技術はあくまで手段で目的は課題解決」という人もいますし、「技術にこだわりたい」という人もいます。難波さんはどうお考えでしょうか

難しいですね…。確かに、技術はあくまでも手段だと思いますが、私は新しい技術が好きだし、技術にこだわりたいと思っています。スタートは「好きな技術を使いたい」という想いでいいと思っています。やりたいことはやってもいい。ただ、その先に続く道があるかは別です。自分が面白いと思うものを作ったとして、誰にも使ってもらえないのは、道が途絶えてしまっていると思います。技術にこだわってものづくりをしたいという想いを持ちながら、それが人のためになっているか世の中にためになっているかを確認していくことが大事だと考えます。

ー「技術にこだわりたい」と「価値を出したい」という2つが排他的なものでなく、両方の気持ちを行ったり来たりする感じでしょうか?

必要条件と十分条件に近いかもしれません。自分の気持ちは大事にしたいですが、一方で自分がやったことは評価されたい。評価されるためにやらなければならないことがありますよね。自分がやったことを意味のあるものにするためには、プログラミング以外の技術も必要です。エンジニアの仕事はプログラムを書くことだけでなく、システムを動かし続けることや、人々に使ってもらうようにするところまでだと考えています。

エンジニアにもコミュニケーション能力は必須

ー今後のエンジニアに求められることはどういうことですか?

これからのエンジニアリングには、幅広い知識が必要だと考えています。技術の世界は基本的にレイヤー構造です。たまねぎの皮のようになっていて、内側を知らなくても外側だけで対応できるという進化をしています。従来は、全てを把握するのは不可能なので、T型人材やΠ型人材のような、専門性を身に着けようという世の中になっていたと思います。しかし時代が変わり、IT業界が成熟してきたと私は感じています。「新しい技術を生む」ことでなく、「新しい体験を人々に届ける」ことが、これからのサービスに求められているのではないでしょうか。そうなると、特定の技術に特化した人だけでは、いいサービスを作ることが難しいのではないかと思っています。オールラウンダーのような、企画から運用まで全部知ってないといけない時代になっていると感じていて、エンジニアに求められていることが広がっている状況です。

ースペシャリストでなく、ゼネラリストになるべきということですね。その中でも、この能力は必須というものがありますでしょうか?

そうですね。すべてが優れている必要はないかもしれませんが、必要とされる能力は標準以上ある人だと考えています。「特に」と言われると、コミュニケーション能力ですね。昔は技術さえ優れていれば、コミュニケーション能力がなくても活躍できていましたが、現在はそうでないと思います。

ーそれは興味深いですね。何かが変化したのでしょうか

これまでは、“余人に代えがたいスペシャリスト”が求められていて、そういう人が解決できる課題があったのだと思います。私がよく言うのは、「みなさんが使い慣れているGmailやInstagramといったスマホアプリは、最高級のアプリなんですよ」と。こういった、何百億円・何千億円というコストがかけられており、作り込まれたアプリを人々は日常で使っています。新しいプロダクトを作るときに、技術だけで突破することは難しくて、目の肥えたユーザーの時間の中にどのように食い込むかが重要です。使ってもらえるプロダクトを作れるエンジニアには、コミュニケーション能力が極めて大事になってくると考えています。

「できることを増やしたい」という人と働きたい

ーエンジニアとして大事にしていることを教えてください

大事にしていることは2つあって、1つ目が一次情報をたどること、2つ目は、好きな技術・新しい技術でプロダクトを開発しつつ、プロダクトをどのように軌道に乗せるのか、多くの人に利用してもらうためにどうすればよいのか、プロダクトの未来まで考えることです。

後者は先程もお話しましたが、人に使ってもらわないと作った意味が全くないので常に大事しています。前者に関して、エンジニアは技術のキャッチアップが大切ですが、私は基本的にGitHubのソースコードか公式ドキュメントでトレンドや技術の情報収集をしています。ブログを始めとした二次情報は誤っていることが多いです。例えば、勉強の記録としてブログを書いている方がいますが、悪気がなくとも間違った情報になっていたりします。僕がいつも、「ソースコード読もうね」と言うので、人によってはプレッシャーに感じるようです(笑)。

ー難波さんが今後やりたいことはありますか?

優秀なエンジニアと一緒に働くことですね。それが僕にとっての夢であり、楽しい世界です。我々エンジニアは、ものごとを進める仕事をしているので、ものごとがスムーズに進んでいくことが楽しいと考えています。スムーズに進めるためには、優秀な人達と仕事することが一番だと思っています。

ー共に働きたい人、タビアンに向いている人を教えてください

「できることを増やしたい」と思っている人と働きたいです。私はタビアンのエンジニアのことを“エンジニアリングのなんでも屋”と言っています。タビアンには「自分のできることが増えればいいよね」という考えを持つ人が多いです。ですから「自分の専門はこれ」という人よりも、幅広い技術やスキルを身に着けたいと考えている人が向いていると思います。

取材を終えて

幼少期にPCを使うために分厚い参考書を読み込む難波さんの探究心に、大変驚きました。中高生の青春時代に、親の目をごまかすためにファイルの保存時間を書き換えるツールを作成したり、授業中こっそり紙にプログラムを書いていたりと、とことんエンジニアリングが好きなんだなと思わされるエピソード満載でした。また、「技術にこだわりたい」し、「価値も提供したい」という2つを追っている難波さん率いるタビアン株式会社がどのような道を歩んで行くのか、今後も楽しみです。

プロフィール:難波 和之

愛知県豊田市出身。10歳よりプログラムを書く。
大学時より上京。学生生活を送る傍らベンチャー企業でエンジニアとして勤務し、コンシューマ向けサービスを開発。
その後、独立系ITコンサルティングを行うフューチャーアーキテクト株式会社で勤務。
技術研究開発部署で先進技術の導入に従事した後、大手メーカーのプロジェクトで要件定義から開発・運用まで従事。
独立後、タビアン株式会社を立ち上げる。

生粋のアウトドア派で、キャンプに登山が趣味。 いつかはリターンライダーが夢。

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