GMOペパボ株式会社の取締役CTO、そして一般社団法人日本CTO協会理事も務める栗林健太郎さんにお話を伺いました。
緊急事態宣言を受けて「栗林さんが考えたこと」「これからのこと」など今後の働き方を中心に、文系からキャリアをスタートしたCTOとしての見解、またTwitterのプロフィールにあるステートメント「~非~生命間の交通に現出する概念の生成変化の翻弄に歴史を描出する」の本質的なメッセージの意味も伺うことができました。CTOを目指すエンジニアだけでなく、全エンジニア必見の内容でお送り致します。
ポストコロナの世界線
GMOペパボの栗林です。弊社では、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、2020年1月27日から在宅勤務を開始しました。世間的にもかなり早い時期の開始だったのではないでしょうか。既にもう4ヶ月ぐらい在宅勤務をしていますね。いまではもう「コロナ以前はいったいどんな感じで働いていたのだろうか?」と思うほど、遠い昔のように感じます。
昨今の状況についてちまたでは「ウィズ(with)コロナ」だとか「アフター(after)コロナ」などといわれていますね。アフターコロナはコロナが終わった後の世界。ウィズコロナは、これからもしばらくは続くコロナと共存するという世界ということでしょう。しかし、僕はそれは違うと思っています。コロナ以降、世の中は既に大きく変わってしまいました。つまり、ウィズもアフターもなく、この世界と以前の世界はまったく別の世界になっている、すなわち「ポストコロナ」の時代に突入したと思います。
おそらくは2020年の1月から3月ほどまでの間のある時点から、我々はそれまでとは違う世界線にいます。そのため、コロナ以前の世界(「プレコロナ」の世界)に戻るという発想はもはや無効です。そうではなく、既に新しい世界にいるのだということを受け入れ以前の状況を取り戻そうとは思わないことです。
一方で、直近の働き方の話をすると、すべての方が在宅勤務に既に慣れているというわけではないので「どういう風にパフォーマンスを出せばいいのか」「自分が上手くやれているのか」がわからず、それがプレッシャーやストレスとなっている方もいると思います。しかし、それは前の時代と比べるからそう感じるわけです。
いまはもう、既に新しい時代なのですから、以前と比べることなくポストコロナにふさわしい働き方をみんなで獲得していくべきでしょう。「前は前、今は今」と切り離した考え方が良いのではと思います。
情報的身体性の時代
エンジニアはもとよりオンラインのコミュニケーションツール上のアクティビティーが多いですが、それでも会って話をしてお互いの意思疎通をする方がいい場面もあります。なぜなら、オンライン上でも可能な言語的なコミュニケーション以外にも、非言語的なコミュニケーションが必要だからです。
また、コミュニケーションとはなにもすべてが主体的な行為によってばかり行われているわけではありません。たとえば話を聴いているときの表情のような、非主体的なフィードバックもまた、円滑なコミュニケーションにおいては重要です。
現在のオンラインのコミュニケーションツールは、非言語的かつ非主体的なフィードバックを要するコミュニケーションをサポートするには、まだまだ非力です。さらには、たとえばビデオ会議ツールでは、カメラやマイクの性能、パソコンのスペック、通信状態などの情報環境の差異によって、その人のプレゼンス(存在感)は大きく異なってきます。
お互いリアルで会っている時は、身体について留意するべきことといえば、せいぜい身だしなみに気をつけるぐらいですが、オンライン上のコミュニケーションにおいては意識的に自らのオンラインプレゼンスを技術的にコントロールしていかないと、すなわち映像が乱れ、マイクにノイズが乗っている状態では、どんなに良いことを言っても相手は聞いてくれません。
情報環境を通じてしか自らの身体を提示できない昨今の環境下では、「いかに身体性やプレゼンスを表現するか」ということがますます重要になります。情報環境において「自分がどのように見える・聞こえるか」を意識する必要があるということです。
これは登壇やイベントなどにおいても新しいやり方がもとめられてくるということになるでしょう。たとえば、リアルなフィードバックの代わりにコメントを流すようにしたものを見ながら話し、聞いている方に問いかけインタラクションを入れていくというような。すなわち、YouTube Liveを日夜行うYouTuberのような、プレゼンテーション能力が広い範囲の人々に行き渡るようになるということです。
この新しい情報環境に対して多くの人々が適応するのには、まだまだ時間がかかるでしょう。しかし、情報的身体性をいかに構築していくかが喫緊の課題であることは間違いありません。
文系からCTOヘ そもそも理系・文系の区別はあるのか?
文系からキャリアを始め、CTOになったのは珍しい存在なのかもしれません。ただまあ、あえて理系・文系の話にのるとすれば、僕は今でも文系的な面が強いと思います。しかし、子供の頃からサイエンスやテクノロジーには強い興味をもっており、「子供の科学」や「Newton」を定期購読していました。
大学の学部は法学部と文系ですが、理系科目は嫌いでも苦手でもなく、好きでした。ただ、相対的に法律や社会科学、文芸、アートに関する文系的な学問が当時は好きだっただけですね。その頃からMacは使っていましたがインターネットにはろくに触れていなかったので、自分がインターネットに関わる仕事に就くとは思っていませんでした。
大学生の頃は本が好きでしたので、編集者になろうと思っていたんですね。世の中のことを知らなかったので「本が好きな人は編集者になればいいのだろう」と単純に思っていたわけです。
僕の中では、正直いって理系・文系の区別はありません。世の中に理系・文系という区別があるのは存じていますが、自分が理系・文系といえるほどなにかの学問を修めているという人は少ないでしょう。
多くの人にとって自分が理系か文系かなどというのは占いの結果のようなもので、その人の主観的満足あるいは制約を構成するだけで、特に意味のある概念ではありません。「文系出身でもエンジニアになれるか?」とよく問われます。僕は即答します。そんなことにとらわれることなく、好きなことをやればいいと。
そもそも世界をフラットに見れば、我々が考究すべき対象そのものに理系・文系のカテゴリが付与されているわけもなく、見る側が勝手にカテゴライズしているだけです。
例えばカエルの場合、カエルそのものに理系あるいは文系というカテゴリが付与されているわけではないことは 明らかです。ただ、カエルに対する人間のアプローチに、あえていえば理系・文系といった切り口があるだけです。カエルの生態学的なメカニズムを明らかにする切り口なら理系的といわれるのでしょうし、カエルという表象が持つ人間社会における文化的・歴史的な役割にアプローチするなら文系的ということになるでしょう。文系か理系かなんて人間が勝手に決めることであって、カエルそのものが決めることではありませんよね。
そういうふうに決めつけないで、カエルの面白さそのものに向き合う好奇心を持つ方が大事だと思います。情報システムに向き合うエンジニアにだって、同じことがいえるでしょう。
とはいえ、エンジニアリングにとって理系的素養が欠かせないのもまた当然のことです。そのため、僕は2020年4月から北陸先端科学技術大学院大学に入学し、博士前期課程に在学しています。平日はこれまで通り仕事をしながら、土日は大学院に通っています(いまはリモートですが)。
僕はいま43歳ですが、学び始めるのにおそすぎることはないと思います。理系だろうが文系だろうが、常に学び続ける必要があるという意味でも、何ら変わることはありません。
ステートメント: ~非~生命間の交通に現出する概念の生成変化の翻弄に歴史を描出する
まず「~非~」 というのは、「非」をMarkdown的なシンタクスで打ち消している記号を表します。HTMLで書けば「<del>非</del> 」ということです。すなわち「~非~生命」とは、生命と非生命との重ね合わせ状態を示します。平たくいえば、どこから見るかによって生命とも見えるし、非生命とも見える何か、というぐらいの意味です。これは、一例をあげると情報システムがそれに該当します。
そのことを前提として、ステートメントについて話していきますが、例として、先日、大学院の授業で聴いたミツバチの話をします。養蜂家とは、ごく大雑把にいうと、ミツバチが蜂蜜を作る環境を整えることによってミツバチを働かせ、結果として蜂蜜を得るということをしています。具体的には、巣箱の用意や、周辺環境の整備、ミツバチが集まる花の世話をしているわけです。
一方で、当たり前ですがミツバチたちは人間がそういうことをしているとは知りません。単に本能に従って生きているだけです。花がなければ次代をつなぐはずの幼虫を養えないし、花があれば蜜が取れて子孫を次代につなぐことができる。ただそれだけのことです。しかし、ある意味ではミツバチが人間を働かせて、報酬として蜂蜜を人間に与えているという見方もできます。
人間から見ると、人間がミツバチを働かせて「蜜を取っているぜ!」と思い、ミツバチから見ると「よくやってくれたから蜂蜜あげるね」とミツバチが思っているという解釈をしても構わないわけです(もちろん、そのように見ることでなにか意味のある洞察が得られるならば、ということですが)。
ミツバチと人間の間において、言葉でコミュニケーションをして「蜂蜜をください」と要求しても蜂蜜を貰えるわけでありません。巣箱を用意し、花を世話した結果として蜂蜜を貰えるわけです。
ミツバチには言葉がないですが、人間が「世話をしてあげる」という言葉によらない行為を行うことでインタラクションが発生し結果的に蜂蜜を得ることができること、すなわち、よく世話をしてくれた人間に「蜂蜜をあげる」ということが結果として起こる。そこに、実質的に「蜂蜜のやりとり」という概念が生まれているわけです。
僕はエンジニアなので、それをインターネットのサービスに応用したいわけです。先の例でいえば、インターネットのサービスもまた、養蜂家とミツバチみたいな関係にあるといえるかもしれません。
わかりやすい例でいうと、Amazonで買い物する時に「いい感じのものをちょうだい」といっても望むものは出てきませんし、クックパッドで「お腹空いたからいい感じのレシピちょうだい」と検索しても出てきませんよね。それらのサービスとの間に、ここでいう概念がないからです。
先のミツバチの例でいえば、ミツバチに対して言葉で「蜂蜜をください」と要求しているのと変わりません。養蜂家がミツバチの世話をすることで蜂蜜をもらうように、たとえばAmazonのサイト上でいろいろ検索したり買い物したりすると、結果的にAmazonがユーザーのことを知り「あなたはこういうものが好きでしょう?」と提案してきます。そのことを自分で色々なものを買い、検索した報酬だと見なせます。
それは、養蜂家にとっての蜂蜜と同じことです。サービス利用当初、Amazonは僕のことをよく知りませんでしたが、段々と僕のことを理解し、結果的に「蜂蜜をあげた」ということになります。そうなると情報システムもミツバチと同じようなもので、僕とAmazonとの間に何かしらの概念が生成したということになります。
そのように考えていくと、人間と人間ではない生命(たとえばミツバチ)の間ではもとより、人間とインターネットサービスのような非生命の間においても、すなわち人間と情報システムとの間においても「~非~生命間の交通に現出する概念の生成変化」が起こりえます。
昨今、パーソナライズを実装したシステムは増えていますよね。たとえば「エンジニア」という言葉を僕がGoogleで検索する時と、山崎(筆者)さんが検索する時、同じワードでも違う結果が出ると思います。そういうシステムとの関係もここでいう「~非~生命間の交通」であり、僕が思っているエンジニアという言葉と山崎さんの思っているエンジニアという言葉は、同じ言葉でも情報システムとの交通の過程で概念としては違うものとして形成されていく。それが僕という生命とGoogleという非生命、山崎さんという生命とGoogleという非生命間にある概念の違いだと思います。
もちろんおたがい同じ人間であり、日本社会に生きているからには、一致するところもかなり多いでしょうけれども。ともあれ、そのように人間と情報システムとの間において概念が生成し変化し続ける、そういったものを作っていきたいと思っているわけです。それが、僕の当面の目標です。そういった活動を続けていくと、人間と情報システムとの間に、その人なりの歴史が生まれていきます。自分の中の「エンジニア」という概念が変わり、20年後には違うことを考えているかもしれません。
あるいは僕が「エンジニア」というワードを入れた時に、仮にGoogle側に僕の考えを操作しようとする意図があったとしたら(もちろんGoogle側はそんな意図を持っていませんが)、検索結果を微妙に変えていった時に、僕はそれに操作されているわけですが、それはそれである種の歴史なので、Googleの検索結果に僕が影響され変わっていきます。逆に変わった考えがGoogleにフィードバックされて検索結果も変わりますが、それはそれで概念の生成変化に翻弄される歴史であるといえるでしょう。人間もシステム側もお互いが変わり得ます。そのことで物事が本当に良くなるかどうかはわかりませんが、そこには少なくとも膨大な変化が生じます。
それをもう少し噛み砕いて言うと、弊社の研究開発組織「ペパポ研究所」(ペパ研)のビジョンである「なめらかなシステム」に行き着きます。すなわち、利用者と開発運用者という人間のみならず、人間どころか生命ならぬ情報システムまでもが互いに影響を及ぼし合う総体としてのシステムとして、我々のサービスを考えようという発想です。
これは、ブルーノ・ラトゥールのいうアクターネットワーク理論を情報科学に応用する試みであると、ひとまずはいえるでしょう。この考えを基に、ペパ研では、ある種のパーソナライズをする情報推薦の仕組みを研究開発し、たとえば国内最大のハンドメイドマーケット「minne」において、適用しています。今はその第一歩という感じです。
最後に
採用ではカルチャーマッチを重視します。弊社で働くパートナー(従業員)が大切にしていることは3つあります。「みんなと仲良くすること」「ファンを増やすこと」「アウトプットすること」です。「みんなと仲良くすること」を掲げている企業は少なく「変わった会社だな」と思われますが、僕らにとってはそれが重要なことだと思っています。
そこにマッチする方、そしてこの記事を読んでいただいた方で「この会社とはフィーリングが合いそうだ」と思ってくださった方が応募してくれたら嬉しいです。
プロフィール:栗林 健太郎
GMOペパボ株式会社取締役CTO、ペパボ研究所長。情報処理安全確保支援士(登録番号:013258)。東京都立大学法学部政治学科卒業後、市役所勤務を経て、2008年よりソフトウェアエンジニアに。2012年よりGMOペパボ株式会社に勤務。2017年3月に取締役CTOに就任、テックカンパニー化を進めるかたわらで、2018年にはGMOペパボガーディアンを設立し、セキュリティ事業の立ち上げに取り組んでいる。
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