株式会社ビーボ CTO:中川雅志さん
今回のインタビューは、〝なりたい〟に本気という理念を掲げ、そのための手段として現在D2C・メディア・人材事業などを展開し、マタニティ領域で顧客価値を広げる株式会社ビーボのCTOである中川雅志(なかがわ まさし)さん。中川さんが入社する前まではエンジニアやテクノロジーと無縁の組織、テクノロジー0(エンジニア0)だったそうです。これまでテクノロジーの先端企業で開発に携わってきた中川さんが、なぜテクノロジー0のビーボへ入社することを決めたのか? その理由を中心に、幼少期の頃から現在に到るまでのエンジニア人生を振り返ります。
プログラミングとの出会い
小学校の低学年からコンピューターに興味がありました。プログラミングは独学で叔父さんからもらったパソコン(MSX)で始めました。言語はベーシックです。基本は書籍から得た情報で、便利なツールを作ったり、友達と遊ぶゲームを作ったりしていました。中学校の時にはプログラミングの雑誌に投稿して、掲載されました。処理が高速なC言語も学んでいましたが、現在のように開発言語は無料ではなく、お年玉を握りしめてC言語のコンパイラを買いに行ったことを思い出します。高校の時は知り合いからプログラミングの仕事(アルバイト)を受けていました。
就職(キャリア)はSIerとしてシステム開発から始めました。Windows95が発売された頃です。これまでのように独学で学びつつ、大中小の開発案件に携わります。それから25歳なった頃「自分の力を試したい」と思い仲間と会社を立ち上げました。
25歳で起業 時代が早すぎたプロダクト
当時は今のベンチャー企業とは違い、零細企業だったので資金やサービスをスケール化するのが困難でした。その中で「携帯で漫画を読む」プロダクトを開発しました。国内では思ったほど伸びませんでしたが、アジア圏では、興味を持ってもらうことができ、売り込みに行きました。
当時投資してくれた人がタイで事業を起こしていましたので、タイ向けに開発しました。今思い起こすと軍事クーデターもあり大変な時期でした。結局はプロダクトには自信があったのですが、ビジネス面で成功できませんでした。それから何年も後にこのアイデア(携帯で漫画を読む)がコミック・アプリとしてヒットし量産されています。「時代が早すぎた」のでしょうか(笑)。
大手企業のサラリーマンへ
起業してから6年後「より多くの人に価値を提供したい」という強い思いから会社を離れます。そして大手のコンテンツプロバイダーで働く知人に誘われ一旦サラリーマンに戻りました。やはり大手は規模が違いましたね。会社を経営しているときは0から100、営業を含め技術にコミットすることができませんでしたが、エンジニアリングに集中できる環境になりました。
従業員約1000人程の会社だったのでプロダクトも多種多様でした。しかし、自分自身のポジションも上がり、やれることも増えてはきましたが、新たなチャレンジがしづらい状況となりました。やはり大企業は身動きが取りづらく「このままでは成長しない」と実感し、転職を決意しました。
アドテク業界へ殴り込み!?
次に選んだ業界はアドテクです。2年ほど在籍していました。今までのキャリアを振り返るとシステムの開発からゲームまで一通り経験しましたが、アドテクノロジーは唯一携わったことのない領域でした。そしてその会社のミッションが「ビジョンが日本のテクノロジーで世界に価値を出す」という点に共鳴し、「世界で勝負したい」と思い転職しました。
最初は何の役職もないエンジニアから入社しました。当時はあまり役職には興味がなく「顧客に対して価値を出す」ことが第一でしたので、ポジションに対するこだわりはありませんでした。しかし入社3ヶ月後にマネージャーとなり、その3ヶ月後に部長になり、半年後に副本部長になります。気がついたら役職がついていく感じです。
一般的にエンジニアはマネージャー職が苦手という印象がありますが、私に関しては大中小様々な規模の組織をみていたので「どうすればマネージメントできるか」を理解しているつもりでした。私がしたことは、業務を一つ一つ改善していっただけです。しかしながらアドテクは業務要件的にも難易度が高く「キャッチアップしたい」というエンジニア魂もあったので、結局はエンジニアとマネージングを両立させながら必死に取り組んでいました。
元テクノロジー先端企業の開発責任者がテクノロジー0(エンジニア0)の会社にジョインしたワケは?
当時ビーボに転職するなんて考えてもいませんでした。しかし知り合いのエージェントから「ビーボ(弊社)という面白い会社があるから会ってみないか」と誘われます。話だけでもと思い会ってみました。しかし話を聞いた瞬間「これは面白い」と思いました。大きな規模で顧客に対して価値を提供しているのにもかかわらず「テクノロジーが入っていない」点です。何よりもお客さんのために本気になっている姿勢にも惹かれました。
「その中にテクノロジーを掛け合わせたらどういうとことが起きるのだろうか」とイメージするとワクワクし、「より多くの人により深く価値を届けることができる」と確信しました。そして「自分自身も海外の経験があったので、日本の価値を海外に持って行くこともできるのではないか」とも思い、ビーボに飛び込みました。
「テクノロジー0の状態」は、エンジニアからすると「本当かな?」というところもありますが、私が入社した時のビーボは組織もプロダクトもほぼテクノロジーが取り入れられていない状況でした。まず、組織がテクノロジー0の状態というのは、テクノロジーを社内で理解出来る人がほぼいなかったということです。
実際には、テクノロジーで自動化をすれば1分もかからない作業を1時間、2時間かけているケースもありました。他には毎日一定の時間にポチポチ押す作業がありました。エンジニアから見てみると「システムで自動化すればいいのでは」という発想がありますが、当時エンジニアがいないビーボではみんな真面目にポチポチ押していました。そのような点を含め、徐々に社内のシステムを変えていきました。
また当時のビーボはプロダクトにおいてもテクノロジー0の状態でした。ビーボは顧客への価値提供にこだわっていますが、その価値提供がほぼ全てマンパワーで作り出されている状態でした。例えば、D2Cで商品を購入している方の目的を達成させるために、一人ひとりに専任の担当者がつくのですが、何十万人もいる顧客に対してほとんどのコミュニケーションは従業員のマンパワーによって行われていました。ビーボが目指すものを考えると、より多くの顧客により深い価値提供をするためにもテクノロジーの力が必要不可欠な状態にありました。
開発×海外 海外拠点の立ち上げとその展望
入社して2、3週間後にベトナムに行きました。いきなり入って、いきなりいなくなった感じですね(笑)。ベトナムでは当初、新規事業のプロダクト開発をパートナー企業と一緒に行っていたのですが、ゆくゆくは開発のチームを作りたいという代表の意向もあり、自社開発拠点を作るための準備をはじめました。こうして、フィリピンの支社の立ち上げに着手しました。
ここで疑問に思われるかもしれませんが「なぜベトナムではなくフィリピンか」という点です。それは英語です。サービスをグローバルで展開する上で英語が重要だからです。ベトナムは意外と英語ができる人が少なく、エンジニアも3割ぐらい話せますが、あとはベトナム語しか話せません。他にも人件費がフィリピンのほうが安いという点です。どこの国でもチームを作れるという自信もありましたので「チャレンジするならフィリピンでいいじゃないか」と思いました。
一方で人材の獲得には苦労しました。ベトナムだとある程度経験を積んでいますので、即戦力ですが、フィリピンは技術レベルの問題ではなく、純粋に経験値がなかったので、経験を積ませるのに時間がかかりました。また採用でレベル感のバラつきがあリ、驚くほど低い人もいました。そこで採用のテストツールを自分で作り、そこから仕組み化して効率化を計り、より採用のプロセスを最適化することにしました。
今後の目標
顧客への価値提供をテクノロジーによって加速していきたいですね。その先にカスタマーサクセスつまり「お客様の成功」があると思っています。これまでマンパワーで成し得ていた顧客への提供価値をテクノロジーの力によって拡散、複製していきたいです。これが実現できれば、今の規模の数倍になると思います。そこからグローバル展開も視野に入れ、さらに新規事業でプロダクトを作っていくと、それらが掛け算になって無限に広がっていきます。考えるとワクワクしますね。
編集後記
「価値の提供」を第一にキャリアを築いてきた中川さん。その根底にあるマインドはどこからくるのでしょうか。最後に中川さんが「楽しい」と感じることに関する言葉で締めたいと思います。読んでくださった皆様のキャリアのお役に立てればと願います。
中川さん:知的好奇心、新しいことにチャレンジすることが一番楽しいことだと思います。知的好奇心を満たし、それを己の中に閉じ込めるのではなく、価値として惜しみなく出して行くことが一番です。出し惜しみすると成長しません。もっとレベルの高いことに挑戦し、もっと凄いことをやればいい、それだけです。